「あゝ、荒野」初日!

あゝ、荒野

あゝ、荒野

荒ぶる魂と強靭な肉体を持て余す!

思えば2010年の春先、1月の終わりにNYでお芝居をはしごして帰ってきた松本さん。その時の話を特にたくさんしてくれたのは4月のぴあのロングインタビューだったでしょうか。あの時の写真の、ハナミズキにまみれた隙間からの眼光が、実はどこを見てた物だったのかなんて本人しか分からないけど、その後に発表になった月9ドラマの番宣で「自分にできることは限られている」*1と言っていたことを、時々思い出しては蹴躓く瞬間があって。*2

ドラマや映画は、松本さんという人がいて、その周りにも俳優さんがいて、全体を演出する人がいて、それに沿って演技をする。ここまでがアウトプット。そしてその全部を、意図を持ってフィルムに納めて形あるものにする監督さん。これはインプットの作業で。outからinで完結するものだから、映像物は考えてみたらすごく閉鎖的ですよね。
対して舞台は、いわずもがなinからout。誰にアウトプットされるかというと、まず第一に相対する板の上の人、そして観客。板の上には裏方は出てきませんから、演者の感覚と客の目に映るものしか存在しない。そうなると、舞台の主演なんて、言うたら「自分にできること」が全てなんじゃないかと思うわけです。どんなに稽古をしても、出すものは演者がどうあるか、が全て。

前述、番宣でのひと言については、よ、予防線ですか?というちょっとした勘繰りと、まーバカ正直に言う人だなあと、当時はちょっと面白がる感じでここにも書いた覚えがあるんですけど、今思うと多大なプレッシャーの中でぽろっと言ってしまった言葉の一つだったかな、という印象。石橋を叩きすぎて壊しちゃったり通れる幅をより狭くしてしまう松本さん、の最たる例かもしれないなあ。すごく、慎重ですよね。映像作品として残るものに関しては、すごく。

そういう意味で言うとよく自分でも言ってる気がするけど、映像と舞台はまったくの別物で、納得するまで稽古をしたらあとは出たとこ勝負だーっていうのは、脳の使う筋肉変えてくような感じでスイッチ切り替えてくるんではないかと、思っている。手先は不器用だけど、そういうの割りと松本さんは得意であろう、というか(ex キャラ替え、憑依型、設定ありきを好むところ)。

5年前の舞台がどうだったのかは、当時観た人の言葉を介してしか知る事はできないけど、白夜後の作品+ここ2年の松本さんを見ていると、「自分にできることは〜」の言葉から始まって、色んな物をそぎ落としながらよりシンプルに、あるひとつの形(それがどんな形なのかはまだ見えてこないけど)に向かって研ぎ澄まされていっているように見える。どの角度から見ても、松本潤であることがとてもよく分かるようになってきたような。どのジャンルの仕事でも、スタンスを変えないでいられるようになろうとしている、というか。
あ、今嬉しいんだ とか
ちょっと困ってる とか
得意げだな とか
何かが引っかかってるな とか
緊張してるな とか
喜怒哀楽の全てが、一時期に比べ分かり易くなったなあと思います。スタンスを変えないでいるためには、周囲に自分を解放する必要もあるってことを、最近の松本さんを見ていて学びます。それって単なるお豆ちゃんへの先祖がえりとは違って、シンプルに生きようとしている故の結果なのかなと。シンプルに生きる。simple(単純)の反対はcomplex(複雑)ですから、きっとひどく、難しいことです。

そう、だから、そうやってそぎ落としてく途中であろう今このときに、健全な肉体と精神を持つ、猥雑でギラギラしてて自信に満ち溢れた「新宿新次」という、ある種のヒーローのような人物に、松本さんが、なる。正直震えます。文字通り、拳闘でもって余計なものを押し出すか。それとも鉈を振るうようにばっさりと斬りおとして行くか。それによって何が残る…いや、生まれるのか。私、今までの松本さんの映像作品(舞台は観てないからね)て、演じるタイミングがどれをとっても絶妙だと思っていて(もちろん、後追いのヲタが把握できる範囲の印象ですよ)。どうしてたってこの人は、そういうふうに役を自分のとこに引っ張ってくるし、自分の中にその役の場所を作り続けているなあと思うわけです。その役柄のDNAの一部を刻み込むことを役の分だけしてるような。生まれ持った運と、何事も簡単には受け流せない、情が深い性質によるのかなあ、とも。ただ、舞台はどんなに稽古を積んでも、観客がいてアウトプットが済まない限り完成されないのだろうから、まあ結局始まってみないと分からないですよね(・∀・)←
シンプルであろうとする中に新宿新次が乱暴に入って抜けて、その残滓を宿した(って書くとドストレートに卑猥だけど書いちゃう)舞台後2011年末の松本さんが、今度は一体どんなかたちなのかが、まずもって楽しみで仕方ありません。



と、ここまでは
原作読み(済)
チラシげっと(済)
軍資金用意(済)
電話抽選全滅(済)


のあと、先着に挑戦する前に、書いておけば当たるかもと思って書き殴ったものになっております。悲壮感を紛らわそうとする必死感が痛過ぎてどうしようか迷ったんだけど結局先着も砕け散ったから、ヤケでエントリにする。厳しいってわかっちゃいたけど、のべ85申し込み(お友達にも頼んだぶん総数)で全滅ですよ。どうなってんのよ。今までツイてたアラシゴトの運を、よりによって待望の松本さんゴトでシャットダウンしなくても良いんじゃないか!おれなんかしたか!(したのかもね…ウッウッ)というような感じで9月18日以降、ふと思い出しては荒ぶっていたら、ヲともだちさんからご厚意を受け、なんと青山に行けることに……!!!!!神よおおおおおおおおお!!!!!

というわけで、あっという間に初日ですってよ。
そう、このエントリの上の方を書いたのはもう一ヶ月以上も前なんですけど、案の定というか何というか、雑誌もテレビもまったく新次の影が見当たらなくて笑った。タイムラグがあるので今!なう!はわかんないけどね。このひと月で出た舞台関連雑誌におけるインタビュー、ほんとうにいろんなことを聞かれていろんなことを答えていたけど、印象的だったのが「頭と体が一緒に動く感覚」という言葉。何箇所かで読んで、あー、もうヌルッと入ってるのかも知れないなーと思いました。ボクサー役のための体作りとはいえ、実際に指令を出して動かすのは紛れもない松本潤なわけで、
そういった意味での、松本潤というオスの本能の躍動があってこその新次、を期待したい。

ついに…初日。始まりますね。

約1ヵ月、30公演。どうか目立った怪我なく、万全の体調のまま千秋楽を迎えられることを祈ります。松本さんにとって実り多きひと月になると、いいな!応援しています!

*1:確かMr.サンデー

*2:こう書くと、四六時中松本さんの内面について考えてるみたいですけど、それはほんの一瞬浮かぶ時期があって、考えたくなるエゴがあって、書いておきたくなる顕示欲があるだけです。それが今なだけです。普段は甘美なまでの見たままの松本さんを享受しています。