今日が明日を迎える狭間で

ハワイで収録した番組の放送が終わって、すでにアルバムのライブツアーが始まっているのですね。番組で感じとれたこと、次の一手のこと、自分の想いとか、ファンの中の意見とか。いろいろ渦巻いて、松本さんがコンサート作りカオスってる間にわりとオタク全体もカオスだった気がするんだけど笑

大多数の意見と、少数のそれの、どちらが正しいのかはしょうじきわからない。個人の精神の上に生まれる感情は、その人にとっては正解でしかないので、命や生活に関わることでなくましてアイドルを応援するコミュニティの中のことなら、とやかく言っても不毛だし疲れるし、言うてもマジョリティを優先するのが常によいとは限らないところが世の中多々あるからなあ、と思っている。だから実は、ちょっと面白がっているふしはあるんだ笑 アンチスレとかすごく面白いし。そんで、ヒマだなーこの人たち、って見ている私が一番ヒマ人じゃんね。という感じです。

そんなわけでヒマ人極まれる中、ハワイbefore afterでつれづれ思うことをちょいちょいツイッターの下書きに溜めてたらかなり長くなってしまったので、ダイアリに移管しようと。だーらだらと書いたので起承転結も山も意味も落ちもないのですけど、とりあえず、置いておく笑

タイミングを合わせることができて、幸運にもハワイ現地で見れたものと併せて、番組も終わったところで改めて熱く感じることがあったので書いておく。
いわゆる10周年出のド新規が言うことなので戯言にもならんつぶやきですが、10周年の確変から5年、要は今年までが分岐のワンタームだったのかなー、って思った。ファンの中の、後ろついてこれてない人と、ちょっと前のめりな人との距離調整のために、なるべく最大公約数を導けるようやってみたけど。俺たち全知全能の神じゃねーし、そこよろしくだよ、的な方針を流布させるための移行期間というか。当事者以外がその期間途中で見通せるものではきっとないから、傍観者としてはたとえばチケットを取り巻く状況とか番組の構成とか楽曲リリースの方向性とかもろもろの行き着く先を想像するしかなくて。そういうわけでもってあきらめるファンが出るのはある程度想定してたことだったんだろうと思う。アンダーグラウンドでは収まらなくなった時点から櫻井くんがよく言うようになった”嵐という一つのプロジェクト”ていう表し方は、要するにこれは沢山の人が連携して成立するビジネスそのもので、お客様は拒まないし追わないよ、けど着いて来るならしっかり担保は保証しますよ、という商材=嵐ってことなのかもしれないな、と。私がいま、これまで感じたことがないレベルの安心感を嵐に抱いているのは、そういうことなのだろう。こんな私でも純粋に好きな気持ちだけで追うには不安に思うこともあった5年だったけど、今年、ピカンチハーフを、ハワイを終えてツアーが始まるこのタイミングで、まったく無くなった。当たり前なんだけど、5人でスケジュールを合わせて映画を撮ることも、異国の地に嵐PJを持ち込んで2日間で完成させることも、それを成功させることも、嵐だけではできないことなんだな、ってつくづく思い知らされた。翻って、それだけの人の生活も保証しないといけないわけで笑。で、とりわけ私が松本さんを好きでいる理由って、5人でいるってことに帰結するから、今の形はよっぽどのことがないと崩れないよね。という巨大な安心感に包まれて、ぬくぬくしている。なう。

初日のニノくんの腰も2日目の数十分続いた豪雨もかなり大きいアクシデントに分類されると思うんだけど、おもてだって流れが滞るとかザワザワする感じ無く終えられた。始まった以上あらゆる手を尽くして続けなきゃいけないのは大前提としても、準備の段で微に入り細に入り不確定要素を潰しておかなかったらイレギュラーに対応する前にボロボロ崩れてっちゃうものなんだろう。
ステージに限らずだけど、団体で動くなら個のペースを固辞したり1人が良しとする感覚で仕事をしない、ちゅうのは本当に重要なことだよ。松本さんが音頭をとって、全員が共有できる言葉で、動きで、確認して。私たちが見る本番という結果の部分に辿り着くまでに、具体的に何をしてるのか。イメージはしてたけど、映像で見せてもらえて、NHKのドキュメンタリーはとてもありがたかった。ニノくんの腰やった、から「堂々と立ってて」までの連続した動きには、圧倒された。あの人たちは、プロだ。

全員が共有できる、ってのは何も演者や裏方の人たちに限った話じゃなくて。欲目かもしれないけど、松本さんは、間接的も含め接地してる全ての人、性質や文化に寄り添うように形作られた心を、持ってるか、持とうとしていると考える。寄り添おうとする時まず必要なのは個別化で、見つめあって、受け入れて、個別にあいたいせるコミュニケーションの方策を探して身につける。ユニバーサルな視点で寄り添う力ってのは、ゼロから環境を作る対応力につながる。簡単なようですごく難しい、もの、こと、ひとの個別化を、いっしょうけんめいに、する。不器用ゆえに、場当たりでの柔らかな言語表現に長けてるとは言えないけど、その分、その場で置いていかれる人が出ないように心を砕き体を張ることを、惜しまない人なんだと思う。なんだけど、それほど喋りがうまくないから誤解されやすく、ちょっかいの掛け方がめんどくさい傾向にある人が心底愛らしくて、できたらいち理解者でありたいし、現実に大野さん、櫻井くん、あいばくん、ニノくんという、扱いづらい子だったかもしれない時期に隣にいてくれた理解者のみんなに囲まれて笑うさまを、ただじっと見つめていたい、という単なるエゴでもって私は松本さんを応援している。それ以上でも以下でもない、そういうことなんだなーという、再確認が出来て、良かった。同じ時代に生まれて来て、大変に幸せである。まる。